私は訪問看護がすごく好きです。
病院で人と接するのも好きだけど
訪問看護のほうがもっと好き。
私は講義をするのがすごく好きです。
100人くらいの前で講義するのも好きだけど
超少人数で講義するほうがもっと好き。
私はお友だちとおしゃべりするのがすごく好きです。
仲良くたくさんでのおしゃべりも好きだけど
1対1でじっくり話すほうがもっと好き。
どれも理由は一緒。
人の反応がダイレクトに見れて
双方向コミュニケーションができるから。
そのコミュニケーションの語源って
ラテン語のコミュニカーティオ(COMMUNICATIO)らしいのですが
その意味は『共有』
そう、『共有』!
なぜに2回も繰り返すっ!?
女性の性質はもともと共有願望の強い生き物のようですが
私はその傾向が人よりやや強いようです。
これは、カリスマカウンセラーさんに言われたことですので
間違いないでしょう(笑)。
話を元に戻しますが
タイトなコミュニケーションの中では
結果的に相手をすごく観察していたりします。
そして、その中でいろんなことを気付かされます。
(もちろん勘違いや思い込みも含めて)
また、時にコミュニケーションが意図せぬ深いところに行って
魂が震えるような体験をすることもあります。
それは、深い理解の共有を伴う気付きであったり、
成長であったり、励ましであったり。
もちろん相手を深く傷つけることも。
しかしそんな傷つけ合うことも互いの理解を深めたり
乗り越えて成長していくプロセスの一部であります。
だからぶつかるのも同じ理由で大好きなのです。
(もちろん過度にならない程度で…)
昔からそれはずっと同じで、自分の性質は何も変わっていないと
改めてこどもの頃からの様々なストーリーを思い出しました。
人によっては、そのようにぶつかり合うことに対して
非常にストレスを感じたりします。
逆に私は、それらから目を背けることや黙っていることに
非常にストレスを感じる人間のようです。
どっちがいいとかではありません。
それは個人のキャラクターだからです。
そして、そのキャラクターを知り、自分が苦手とすることが
時に必要だと自覚して、向き合って取り組むことも
成長のためには必要なんですよね。
だから、私の場合、いつでもガチンコで向き合い
そのままにしないで突き進んでいくというキャラクターのままではなく
時にそのタイトな距離感を捨てて
「忍耐」「忍耐」「忍耐」が必要なんです…。
うっ…。
もちろん、忍耐だけしてたら壊れちゃいますから
それもバランスが大事なんでしょうが
気になっていることから目をそらして棚に置くスキルを身につけたい!
私は食べ物に対するこだわりはありますが
食べ物に対する執着が昔からあまり無いようで
買ってきた物を棚に置いたまま完全に忘れて腐らせてしまうことは日常です。
そんな風に忘れるくらい、目の前の気になることから
時には心の距離を置くことが必要な時がある!
って最近やっと気づかされました。
人生は自分の思い通りになんてならない、という意味で。
日々、試練ですな~。
(近づいたらハートだったステキ葉っぱ♪)